ペットロスから立ち直れない話
2015年8月に愛犬が亡くなった。
17歳だった。
亡くなる前までリビングの長座布団の上で一緒に寝ていた。
(この頃、愛犬は認知症になり寝室ではなくリビングで一緒に寝てあげないと夜鳴きが酷くなっていた)
午前3時過ぎに母親に「疲れただろうから、部屋のベッドで寝てきなさい」と言われ、その場を離れた。
それから母親も仮眠をして4時に起きたら、愛犬は眠るように息を引き取っていたそうだ。
私は7時に起こされ、愛犬が亡くなった事を告げられた。
ショックどころではなかった。心にポッカリと穴が空いた。泣き叫んだ。
それから仕事が急に忙しくなり、昼間は愛犬の事を一時的に忘れていられた。
それでも、夜になると毎晩のように思い出しては泣いた。
仕事に忙殺され、愛犬を喪い、喜びの感情が死んだ。この頃から少しずつ狂っていた。
休日は外に一歩も出なかった。家の中で愛犬の写真を見ては泣いた。後は茫然自失になりずっと布団の中で寝ていた。
仕事と寝る事の繰り返し、それを半年以上続けた。
その後色々あって抑うつになるのだが。
その頃から心に空いた穴は仄暗く、風を通し続けている。
通し続けているのだ。
今も記事を書きながらボロボロと涙が出て止まらない。(元々涙脆いけれど)
今回は敢えてタイトルに使ったが、私は◯◯ロスという言葉が嫌いだ。最近のメディアは◯◯ロスという言葉を使いたがる。
ペットロスはそんな軽々しいものではない。
喪ったものが大きすぎた。
17年連れ添った愛犬だ。いつだって隣にいてくれた。毎朝、寝坊助の私を起こしに来てくれた。私が親に怒られている時も横で震えながら座っていてくれた。本当に大切な存在だった。
愛する存在を喪う事が怖くなってしまった。
両親もいつかはいなくなってしまう。
両親がいなくなってしまったら、その時こそ私は心を喪い駄目になってしまうのではないか?そんな思いが過る。
傷付きたくないのだ。私はメンタルが強くない。簡単にベコベコに凹む。しかも立ち直れない。
だったら、大切な存在を最小限にすれば傷付く回数が減るじゃないか。そう思ってしまう。
だから他人と仲良く喋りはするけれど、一線を引いてしまう。
きっとこれを乗り越えないと、お友達も恋人も出来ない。
それ以前に自分が哀しみに耐えられず、この世から消えてしまうかもしれない。
一体どうしたら乗り越えられるのか。
今もなお実家に帰っては、もうこの世に無い
あの小さな影を探し続けている。